殴り書き

オタクの妄言

ポリネーターを見てくしゃみをする

 

 

10月某日、私はスマホのマップとにらめっこをしながら東京の街を歩いていた。ランチセットが1500円以上もするおしゃれなカフェを横目にまっすぐ道を進む。若い人たちばかりだったけれど、みんなそんなにお金を持っているのかしら。田舎にしか住んだことのない自分にはちょっと分からなかった。

ワタリウム美術館に行くのは、これが初めてだった。それどころか、恥ずかしながら「ワタリウム美術館」をはっきりと認識したのもここ数ヶ月の話である。その日の朝はあいにくの雨で、いつもなら持っているはずの折りたたみ傘がなかったのでコンビニでビニール傘を買った。昼に現美で横尾忠則を見ている間に、すっかり傘は必要なくなっていた。まっすぐ道を行く。マップを見るとワタリウムはすぐ目の前だった。スマホから顔をあげて、AppleMusicのアプリを落とす。そうしてイヤホンと一緒に鞄にしまった。そこは美術館というよりもこじんまりとしたビルという様相だった。入口そばに傘立てがあったので、そこにそっと傘を差し込んだ。すぐ左手に受付があって若いお姉さんが案内をしてくれた。本当はパスポートを買って何度も脚を運びたかったけれど、京都府民である私にはそれはできそうもなかったので当日券を購入した。お姉さんが言うには、2,3,4階に展示があるらしい。ボタンを押してそエレベーターが到着するのを待った。すると家族連れの三人がチケットを買い求めに受付へやってきた。ペア割りで大人二枚、そして子どもの分のチケットを購入していた。

私は美術館で会話をするという行為が嫌いだった。憎んでいると言ってもいい。脳のリソースをできるだけ視覚以外に割きたくないからだ。もちろん会話を聞くことも嫌だ。それが学芸員さんだったとしても、嫌だ。以前、灘の横尾忠則現代美術館で運悪く学芸員さんと連れ立って話す団体に出くわしてしまって、鬱々とした気持ちで美術館を後にしたことを思い出した。声を潜めて喋るならまだしも、普通の声量で会話を延々と続けることのできる人間の神経を疑う。だから、嫌だった。この家族がどういう人達かは知らないが、出来れば一緒に回りたくない部類の人々であることは疑いようがなかった。できるだけゆっくり見て回ってあの家族連れと一緒の階にいないようにしよう、そう思いながらエレベーターへと乗り込んだ。

2階で降りると、さっそく梅津さんの絵が出迎えてくれた。それは京セラでも見た絵だった。

私が初めて梅津庸一さん、並びにパープルームの展示を見たのは京セラ美術館で行われていた「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)」でだった。なんでこの展覧会に脚を運ぼうと思ったのかは覚えていないけれど、多分Chim↑Pomの展示があったからだろう。会田誠Chim↑Pomはちょっとびっくりするくらい自分の感性と呼応するので、機会があればいつだって見たいと思っている。ただ会田誠とは縁がなく、数年前森美であった「天才でごめんなさい」も、前にミズマでやっていた個展も、また今年に行われていた「愛国が止まらない」も結局見ることは叶わなかった。ただ、ミズマはYouTubeに残してくれるので雰囲気だけでも味わえるのが本当にありがたい。

パープルームの展示は平成美術のなかでもかなり異彩を放っていた、と思う。今まであんまり触れてこなかったタイプの美術だった。ブルーピリオドに本格的にハマるまでは、美術に関してかなり選り好みするタイプだったので以前の自分なら流し見して立ち去ってしまっていたように思う。なんとなく気になってブースへと脚を踏み入れた。そこにはマンガだったりよく分からない図だったりボードゲームだったりがあった。ごちゃごちゃとしているはずなのに、妙に居心地がよかったことを覚えている。梅津さんの絵は正面に三枚くらい飾られていたはずだけど、正直言うとあんまり印象に残っていない。花粉濾し器の意味もよく分からないまま、ただ、なんとなく面白かったなと思いながらブースを去った。帰りの物販にはパープルームのマンガや、今までの展覧会のパンフレットなどが置いてあった。どうしようか悩んで、結局「青春と受験絵画」のパンフレットだけを購入した。家に帰って開けてみれば『ブルーピリオド』、『げいさい』の文字が並んでいたので買ってよかったと思った。内容はとても興味深く拝見した。受験絵画とは芸術なのか?その問いへのヒントがいくつも得られた。いつか展示を生で見れる日が来ればいい、そう思う。

そんなこんなで梅津さんの絵を見るのは二回目だったけれど、とても新鮮な気持ちで見ることができた。さまざまな色の点描は梅津さんの身体を象っていた。それはふっと吹けば飛んでしまいそうにも見えたが、不思議と繊細さは感じなかった。むしろ力強ささえ感じた。歩みを進めるとまた別の梅津さん自身の絵が飾ってあった。f:id:kyuuuuu:20211029222235j:image

舐めるように見ていると、顎を引いてこちらを見つめる梅津さんとばっちり目が合った。壁に沿うようにゆっくりと歩く。そうしていると先ほどの家族の声が聞こえてきた。そういえば、上の方からピアノの音が聴こえてくる。思っていた以上に集中していたのか、全く気にならなかった。予想していた通り、三人は口々に話し始める。不思議とうるさいとは思わなかった。その会話は空間に許容されていた。口からぽろぽろとこぼれた言葉たちはふわふわと空気中を漂って私の耳へと届いた。子どもは女性のことを〇〇ちゃんと呼んだ。パームツリーのことをヤシの木と呼んだ。第一次世界大戦時には写真そのものがない。色んな言葉が脳内を彩っていく。

「おちんちんぶらぶら」

その言葉は私を現実に引き戻した。おちんちんぶらぶら、と心の中で復唱した。振り向くと、画面のなかでおちんちんがぶらぶらと揺れていた。気がつけば三人と一緒になって画面を見つめていた。梅津さんは高尾山を全裸で登っていた。女性がおちんちんぶらぶらと言えば、子どももおちんちんぶらぶらと言った。足元だけきちんとスニーカーを履いて全裸の梅津さんは山奥へと突き進む。女性は梅津さんのことをモデルさんと呼んだ。モデルさんじゃなくって、描いている/つくっている本人ですよ、と話しかけたかったが、止めておいた。美術館に来て誰かに話しかけたいと思ったのは、これがはじめてだった。三人は結局、最初と最後を見ないまま立ち去っていった。木に塗られたいちごジャムがてらてらと光るのを見ないまま。そうしてビデオは最初へと戻る。「高尾山にジャムを塗る」という題名が画面にぼんやりと浮かんでいた。

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3階に上がると、2階の様子がよく見えたので写真を撮った。網入りガラスごしだけれど。

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結局最後にまた2階に降りて写真を撮った(のが一枚目の写真)。3階にはたくさんのドローイングがあった。女性が「〇〇ちゃんの方が上手に描けそうだね」と子どもに言えば、子どもは「そう思うかどうかは人による」と返したので、思わずマスクの下で笑顔を浮かべてしまった。今日、この時間に、ワタリウムに来てよかった。心からそう思った。

4階にあがると少し高めの台に陶器の庭が広がっていた。f:id:kyuuuuu:20211029222535j:image

三人は記念写真を撮っていた。私は邪魔にならないように部屋の隅で壁を見つめていた。三人が帰ろうとしているところ、一人の男性が登ってきた。多分何回も見に来ている人なんだろうなと思った。ふたり無言で陶器の山を見た。男性はすぐに立ち去っていったので、私は壁の絵の写真を撮った。

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2階の写真を撮ってもう一周見てから1階へと降りた。隣接しているショップを一周しても過去のパンフレットが見当たらないから、おかしいなと思いながら入口に戻ると受付のすぐそばに並べられていた。昔から探し物をするのはとてつもなく苦手だった。何でもない顔をしてパンフレットを物色する。一週間前に終わってしまったシエニーチャンさんの「視ることのアレルギー」のパンフレットと、ゲンロン6.5(表紙赤バージョン)を買ってワタリウムを後にした。表参道駅を目指して歩いている途中で、傘を忘れたことに気がついた。そんなに遠くなかったけれど戻るのがめんどくさくてそのまま駅へと向かった。雨はもう、降らなかった。

 

梅津庸一 ポリネーター

2022.01.16まで

http://www.watarium.co.jp/jp/exhibition/202109/