殴り書き

オタクの妄言

絵画体験のはじまり

 

母親はよくクラシックギターのコンサートへと連れていってくれたが、それだけでなく美術館に私を誘うこともあった。母は特別美術が好きというわけではなかったが(音楽に関してもそうだ)奈良美智草間彌生が好きで、家の本棚には数冊書籍が並んでいた。

多分あの日中之島へ赴いたのも奈良美智草間彌生を見るためだったんだと思う。その時、国立国際美術館では「絵画の庭───ゼロ年代日本の地平から」という特別展がひらかれていた。Googleで調べてみたら2010年だったらしい。てっきりもっと昔のことだと思っていた(10年前は十分昔ですが)。

 

会田誠の《ジューサーミキサー》という作品をご存知だろうか。一糸まとわぬ姿で多数の男女がたった今電源がつけられたのであろうジューサーミキサーの中でひとつになろうとしている。その絵は私に衝撃を与えた。とてつもない衝撃だった。何がそこまで私のやわらかいところに刺さったのかは分からない。ただ、衝撃だった。プラスチックの固さと、これから顔貌を失っていく人びとの表情と、かき混ぜられているジュースのその赤さを、今でも鮮明に覚えている。今まで知識として知っている【絵画】という概念ががらがらと音を立てて崩れていった。ただ母親はそういった類のものを好まなかったので、怒られないようにこっそりと遠目から見ていた。あと《滝の絵》と《あぜ道》があったと思う。(記憶は定かではないけれどエスカレーターを降りてすぐの目立つところにあった気がする)滝の絵はともかく、あぜ道はじっくり見ていても不審がられないだろうからとその前で少女のツインテールの分け目を舐めるように見た。そこから視線を上にやると、その分け目はあぜ道となって地平線までずうっと延びていた。絵を見て『おもしろい』と思ったのはそれが初めてだったかもしれない。他にはO JUNや加藤泉タカノ綾らの作品があった。他にもたくさんの著名な作家らが名を連ねていたと思うけれど、美術に(今でも)疎いまだ10代だった私が名前をすらすらと言えるほどになるまで強烈な印象を放っていたのはその三名だ。あと名前は思い出せないけれど、大きなキャンバスに描かれた黒髪の少女が黒々とした目でこちらを見つめている絵も印象に残っている。題名は《カナリア》。そこまで覚えているのになぜか肝心の作家名を覚えていない。気になって調べてみたら、すぐに出てきた。加藤美佳さんという方でした(http://tomiokoyamagallery.com/exhibitions/mikakato2000/)。あの時に見た、髪の毛の繊細さをはっと思い出した。

ちょっと調べていたらどんどんと気になってしまって、結局参加されていた皆さんのお名前を一人ずつ検索してしまっている。

厚地朋子さん(http://atsuchitomoko.com/)、とても好みだ。後藤靖香さん(https://www.tezukayama-g.com/artist/yasuka_goto)の絵もよく覚えている。この力強いタッチ!人びとのなんとも言えない表情がいい。長谷川繁もまたキャッチーで目を引く絵だ。バナナが好き🍌町田久美さんもインパクトある絵だ。つるんとしていて、ちょっとだけ不気味。思っていたよりも混沌とした作品が少なくてびっくりした、女性作家もかなり多いし。

絵画の庭で見たO JUNの絵の印象は『無菌室にわいたシロアリ』なのだけれど、自分でもどういう事なのか分からない。あとはコンクリートを食べる虫とか、そんなイメージばっかり。カタツムリはコンクリートを食べるらしい。へえ、と明日には忘れていそうな知識を得る。近年の作品は以前のものとは随分違って見える。でも、なんとなく見ていてむずむずする。決して目を離さないまま、私は丸襟から伸びた首をぽりぽりと掻く。ちなみにtagboatでまだ売れていない作品があったからチラッと見てみたら¥110,000!?嘘でしょ!?となって技法をよく見てみたらさもありなんとなる(紙に鉛筆、マーカー)。

加藤泉は赤ちゃんのような、それでいてもっと原始的な動物のような不思議な生命体を描く作家だ。じっと見つめていると〈それ〉もまたじっとこちらを見つめているようだ。夢に出そう。マジで出てきそう

その当時、タカノ綾の絵を一枚たりとも直視できたことはなかっただろう。裸婦の描かれた絵画や男性の裸体をかたどった彫刻とは一線を画した生々しさがそこにはあった。とはいえタッチは極めてポップでイラスト的なものだ。何がそうさせるのかは分からないけれど、男の子が夢精する時の夢ってこんな色をしているのかしらん。会田誠の《滝の絵》はスクール水着を着た少女たちが滝に点在しているのだが、エロティックさはまるで感じられない。それこそ夢のなかのように。タカノ綾の絵は夢の色をしている。夢の風景ではない。そのもやもやとした、淫蕩さが絵という形になって壁にかけられている。

 

なんだか思い出したことをぽろぽろ書き連ねていたらとりとめもない文章になってしまった。最近あまりにも小説を書く気が起きないのでリハビリも兼ねて日記、というよりもこうして記憶を書き留めている。あと、話し下手なので(他人の話を聞いてレスポンスを返すことはとてつもなく好き)ちょっとでも上手くなればいいな、というおまじないの意味も込めて。こうして自分のことを書いてみるとどれだけ薄っぺらい人間なのかがよく分かって良い。これからも薄っぺらい人生を歩んでいくのだろうけど、その上にちょっとずつ何かを積み重ねていければいいと思う。何をかはまだ分からない。

 

(敬称が付いている方と付け忘れている方がいるのに他意はないです。忘れているだけ)