殴り書き

オタクの妄言

ツルネ初見感想

 

先日、我孫子武丸の「残心 凜の弦音」を読んだ。翠星学園高校の弓道部に所属する篠崎凜が主人公の青春ときどきミステリー小説である。

めちゃくちゃよかった、という訳ではないが青春ものも悪くないじゃん!と新たな気づきを得た。前作を読んだ時はそうは思わなかったのだけれど。我孫子武丸、くたびれた中年以外の人間も書けたんだな……

 

という訳で、アニメ「ツルネ ―風舞高校弓道部― 」を観た(という訳で?)。観たいと思いながらずっと観てこなかった作品だ。うっかりハマってしまうのが怖かったので……いや確実に今のタイミング(原稿の進捗𝐙𝐄𝐑𝐎)で見るものじゃないだろと思いながら、観た。

 

凄まじくよかった

いや、本当にめちゃくちゃよかった。

京都アニメーションって神なのかも!?!に毎秒なってしまったし、12話で群像劇がきれいにおさめられていて、えっ神!?!になってしまった。それはそれとして続きをあと5億話くらい観たいんですケド、、

正直色々思うところはあったのですが、男男間の巨大感情をたくさん浴びれてめちゃくちゃよかったので、「ツルネ ―風舞高校弓道部―」激しくオススメです。

 

主人公がジェネリック竜ヶ峰帝人(個人的見解です)で親友がジェネリック角ヶ谷尚志(個人的見解です)なので、そりゃあめちゃくちゃ好きだよな…………になり頭を抱えています。あとデコが出ている男がめちゃくちゃ出てくるのでいいし、短髪の男もめちゃくちゃ出てくるのでいい。いや本当に関係性が良すぎる。オタクの見た夢?

主人公を追いかけて同じ高校に来る親友、何?と思っていたら弓道を始めたのも主人公と一緒にやるからで、何?というか幼少期にもらったお菓子の箱を高校生になっても大事にとっておいてるの、何?全部訳が分からないこれ以上オタクを混乱させないでくれないか

ガチで愛が重すぎる主人公の親友、めちゃくちゃ嫌だな(めちゃくちゃ好き)

他のキャラクターもめちゃくちゃ魅力的なのですが割愛します。これ以上ツルネのことを考えていたら本当に終わりになってしまうので

 

本当によかったので見たことある人はぜひお話させてください、見たことのない人はぜひ見てみてください。男男間の関係性オタクには刺さると思います

 

ツルネ ―風舞高校弓道部― はいいぞ

 

 

久しぶりにはてブを見たら何かしらの残骸があったのでお焚き上げをする。昨年の11月頃に書いていたものだ。

 

 

声フェチ、というほどでもないが声のいい人が好きだ。とはいえ声優さんに詳しいわけでは全くない。ものごころついたときから現在に至るまで自由にアニメを見させてもらったことなどほとんどないからだ。ただ、ヒカルの碁テニスの王子様だけは母も一緒になって見ていたらしい。それ以降アニメをリアルタイムで見た経験はほとんどない。時おり親の帰りが遅いときにひとりでこっそりと見た。それはブリーチだったり銀魂だったりした。

かろうじて声を覚えていて好きだと言える声優さんは岸尾だいすけさんで、初めて知ったのはStarry☆Skyの陽日直獅だった。その頃にはもうインターネットは禁止されていて、友達に学校で教えてもらったことを覚えている。その頃わたしの周りでは自分を男子学生化するのが流行っていて、私も皆にならって絵を描いた。その時に描いた男の子と陽日直獅はびっくりするくらいそっくりだった。茶髪で、おでこが見えていて、襟足が短い短髪男子はどストライクだった。結局ゲームもやらなかったしCDも聞かなかった(ボイスだけちょろっと聞かせてもらった)けど、記憶に残っているキャラクターだ。あと覚えているのはテガミバチのザジ(漫画読んでない)、FAIRY TAILのロキ(漫画ちょっとしか読んでない)、弱虫ペダルの手嶋純太(推し)、そしてスーパーダンガンロンパの九頭龍冬彦坊ちゃん(推し)。調べてみたらボーボボの破天荒(推し)もやってる。D.Gray-manとかおお振りとかは全然見てない。ワートリも見てないな……見てないものがたくさんある……死ぬほどある。アニメを見るのもちょっと苦手なので(30分画面を凝視していられない。いやそうする必要はないんですが)作業のお供にゆっくり消化していきたい。

 

ともかく好きな声の人が好きだ。それはゲーム実況者でも同じことで、ここ数年よく見させてもらっているあっさりしょこ(https://m.youtube.com/c/%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%95%E3%82%8A%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%93)さんもかなり好きな声だ。ゲームも上手いし暴言も吐かないしいつ見ても安心できる。元々DeadbyDaylightを自分でプレイしていた時に参考に見ていたのだが、気がつけば他のゲームの実況や雑談配信も楽しみになっている自分がいた。配信が主な実況者なので数日音沙汰ないとさみしい。同じような声の系統で行くと、Selly(https://m.youtube.com/c/SellyTwitch)だろうか。Crazy Raccoon APEXLegends部門所属のプロゲーマーで、ヤニカス。CRのメンバー紹介ではこうとだけ書かれている『天才。世界大会MVP。これ以上に彼を語る言葉はいらないだろう』(https://crazyraccoon.jp/selly/)。元々Rasさんが好きでよく拝見していたのだが、偶然おすすめに出てきた彼のプレイを一目見て虜になってしまった。あとはまあなんといっても声が良い。

そういえばAPEXの競技シーンはそれほど見たことがない。ALGSはちょろっとだけ見たけれど。CRカップはしょこが出るから、と見始めたのが最初だった気がする。というかしょこのエペをちゃんと見るようになったのもその時期だったかも。ギアザムしょこの三人ほんとうに今でも仲良く配信したりしててうれしい。ゆめきゃわも最高にかっこよくてかわいかったな。ボラちゃんとトワ様のおかげでVチューバーにも少し興味がわいた。

逆にシージは今年めちゃくちゃ競技シーンを追いかけた。Rainbow Six Siegeは全く触ったことがないけれど、見ているだけでもおもしろい。多分やったら味方にも敵にも煽られて精神的に死ぬ。見ているくらいがちょうどいい。よく解説を担当されているOkayamaさんの声がすごく好きで、作業しながらよく裏で流している。選手で好きなのはSGのれいちる(めちゃくちゃうるさいけど顔がかわいい)、CAGのブラレイ(スーパープレーをしても普通ですけど何か?という顔をする。ウザすぎる、好き)。こないだアマプロ問わずの日本一決定戦があったのだけれど、決勝でリーグ戦無敗のCAGが負けてしまってびっくりした。USGが本当に強かった、おめでとうございます!

 

………というようなことを書いていた。今の生活と全く変わっていない。アニメ見てないけどCRカップ見てるし……ていうかそればっかりだし……成長がない。昨日からたくさん良い映画を教えてもらったのでたくさん見て成長していきたい。

 

2022.05.21

 

昨日、東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻の卒業制作展のカタログが届いた。

コロナウイルスの影響で学内ではたったの4時間しか展示ができなかった、令和三年度卒業生のものだ。その後の都美では会期中無事に展示を終えたようではあったが。

そういう事情もあって───元々気になっている作家さんがいるというのもそうだが───ある種の好奇心から今回カタログを購入させてもらった。80部限定なので欲しい方はお早めに

(Vibration | vibration)。

 

読んだ、というか見た。正直言って、生で見ないことには分からない部分というのが少なからずあった。ただ、コロナウイルス等の影響が少なくないなかでひたむきに前を向く姿がそこにはあった。時勢を押し返すようなパワーがうっすらと感じられた。神垣凪沙さんが特によかった。

私は特段絵画に明るいわけではなく技巧的な部分に関しては全くの無知と言ってもいい。こういう時すぐに作家の背景も知らないし……と続けたくなるのだが、略歴を読んで何かをわかった気になる方が無意味なので止めておく。真に素晴らしいと思えるものには技術も文脈も背景もすべて些事だからだ。

 

このカタログを購入してよかった点のひとつとして挙げられるのは、自画像が掲載されていたことであろうか。これはSNS等ではなかなか拝見できないので、とても興味深く見させてもらった。毎年芸大では卒制とともに自画像も展示するということは知識としてあったのだが、いやよく考えられているな……と感嘆してしまった。特に印象的なのが杉山日向子さんの自画像で、マスクを指でずらしながら目線は上へと向いている。自意識が高い、と一目みて感じた。そしてそういう人間が私は大好きだ。元々好きだったけれどもっと好きになってしまった。近年蔓延しているコロナウイルスの影響であろう、マスクをした姿というのは今だからこそ描けた自画像だ。それを素直に切り取ったのもまた好感が持てる。

 

自画像、といえば。ブルーピリオドの一次試験で八虎達に課された課題も同じく「自画像」だった。自画像というものは自分をどのように位置/価値づけしているかがはっきりと浮き彫りになるものだと考える。八虎は一次試験ではあの自画像を描いたが、卒業する時にはきっとまた違った自画像を描くだろう。

 

最近の本誌の展開が不穏だと言っておられる方々を多々目にするが、私が矢口八虎が中途退学しないと考えている理由がこの自画像にある。まあ母に頭を下げてまで入りたかった芸術系大学としては最難関かつ最高峰の大学を辞めるメリットって……""無""だし……。違う学校であればあるいは。メタ推理ゆえ大っぴらにツイートをするのは憚られたので、この機会にこっそりと書き記しておく。

あと、パープルームの9期生として入った彼の話をしよう。国公立の芸術大学志望だったけど結局入れなくて芸術系の私立大学に入ったというあの子だ。ごく個人的な意見だが彼はパープルームに入ってよかったのではないかなと思っている。大学を辞めて来たのかどうかは知らないけれど。アーティストとして今後やっていきたいなら、それが最短に近いかつ可能性の高い方法だったと思う。ゲンロン(梅津庸一×與那覇潤 司会=堀安祐子「本当の『平成美術』を語ろう――アートと歴史でふりかえる平成の30年」 @parplume @phappyyy #ゲンロン220418 ゲンロン完全中継チャンネル | シラス)で公開面接みたいになったのはちょっと笑っちゃったけどあの時に梅津さんが話されていたことこそが本質だと思った。大学を出たって画業だけで食べていける保証なんてないからな、本当に。

こういう話をしていると過去の自分を振り返ってしょぼ……となってしまう。叶わない夢がいちばんかなしい。ただ夢を持って何かをやっている人間のことは本当に尊敬するし応援したいと思っている。がんばれ、みんな!

ていうか人間てみんな生きててえらいな♪おわり♪

 

 

 

 

絵画体験のはじまり

 

母親はよくクラシックギターのコンサートへと連れていってくれたが、それだけでなく美術館に私を誘うこともあった。母は特別美術が好きというわけではなかったが(音楽に関してもそうだ)奈良美智草間彌生が好きで、家の本棚には数冊書籍が並んでいた。

多分あの日中之島へ赴いたのも奈良美智草間彌生を見るためだったんだと思う。その時、国立国際美術館では「絵画の庭───ゼロ年代日本の地平から」という特別展がひらかれていた。Googleで調べてみたら2010年だったらしい。てっきりもっと昔のことだと思っていた(10年前は十分昔ですが)。

 

会田誠の《ジューサーミキサー》という作品をご存知だろうか。一糸まとわぬ姿で多数の男女がたった今電源がつけられたのであろうジューサーミキサーの中でひとつになろうとしている。その絵は私に衝撃を与えた。とてつもない衝撃だった。何がそこまで私のやわらかいところに刺さったのかは分からない。ただ、衝撃だった。プラスチックの固さと、これから顔貌を失っていく人びとの表情と、かき混ぜられているジュースのその赤さを、今でも鮮明に覚えている。今まで知識として知っている【絵画】という概念ががらがらと音を立てて崩れていった。ただ母親はそういった類のものを好まなかったので、怒られないようにこっそりと遠目から見ていた。あと《滝の絵》と《あぜ道》があったと思う。(記憶は定かではないけれどエスカレーターを降りてすぐの目立つところにあった気がする)滝の絵はともかく、あぜ道はじっくり見ていても不審がられないだろうからとその前で少女のツインテールの分け目を舐めるように見た。そこから視線を上にやると、その分け目はあぜ道となって地平線までずうっと延びていた。絵を見て『おもしろい』と思ったのはそれが初めてだったかもしれない。他にはO JUNや加藤泉タカノ綾らの作品があった。他にもたくさんの著名な作家らが名を連ねていたと思うけれど、美術に(今でも)疎いまだ10代だった私が名前をすらすらと言えるほどになるまで強烈な印象を放っていたのはその三名だ。あと名前は思い出せないけれど、大きなキャンバスに描かれた黒髪の少女が黒々とした目でこちらを見つめている絵も印象に残っている。題名は《カナリア》。そこまで覚えているのになぜか肝心の作家名を覚えていない。気になって調べてみたら、すぐに出てきた。加藤美佳さんという方でした(http://tomiokoyamagallery.com/exhibitions/mikakato2000/)。あの時に見た、髪の毛の繊細さをはっと思い出した。

ちょっと調べていたらどんどんと気になってしまって、結局参加されていた皆さんのお名前を一人ずつ検索してしまっている。

厚地朋子さん(http://atsuchitomoko.com/)、とても好みだ。後藤靖香さん(https://www.tezukayama-g.com/artist/yasuka_goto)の絵もよく覚えている。この力強いタッチ!人びとのなんとも言えない表情がいい。長谷川繁もまたキャッチーで目を引く絵だ。バナナが好き🍌町田久美さんもインパクトある絵だ。つるんとしていて、ちょっとだけ不気味。思っていたよりも混沌とした作品が少なくてびっくりした、女性作家もかなり多いし。

絵画の庭で見たO JUNの絵の印象は『無菌室にわいたシロアリ』なのだけれど、自分でもどういう事なのか分からない。あとはコンクリートを食べる虫とか、そんなイメージばっかり。カタツムリはコンクリートを食べるらしい。へえ、と明日には忘れていそうな知識を得る。近年の作品は以前のものとは随分違って見える。でも、なんとなく見ていてむずむずする。決して目を離さないまま、私は丸襟から伸びた首をぽりぽりと掻く。ちなみにtagboatでまだ売れていない作品があったからチラッと見てみたら¥110,000!?嘘でしょ!?となって技法をよく見てみたらさもありなんとなる(紙に鉛筆、マーカー)。

加藤泉は赤ちゃんのような、それでいてもっと原始的な動物のような不思議な生命体を描く作家だ。じっと見つめていると〈それ〉もまたじっとこちらを見つめているようだ。夢に出そう。マジで出てきそう

その当時、タカノ綾の絵を一枚たりとも直視できたことはなかっただろう。裸婦の描かれた絵画や男性の裸体をかたどった彫刻とは一線を画した生々しさがそこにはあった。とはいえタッチは極めてポップでイラスト的なものだ。何がそうさせるのかは分からないけれど、男の子が夢精する時の夢ってこんな色をしているのかしらん。会田誠の《滝の絵》はスクール水着を着た少女たちが滝に点在しているのだが、エロティックさはまるで感じられない。それこそ夢のなかのように。タカノ綾の絵は夢の色をしている。夢の風景ではない。そのもやもやとした、淫蕩さが絵という形になって壁にかけられている。

 

なんだか思い出したことをぽろぽろ書き連ねていたらとりとめもない文章になってしまった。最近あまりにも小説を書く気が起きないのでリハビリも兼ねて日記、というよりもこうして記憶を書き留めている。あと、話し下手なので(他人の話を聞いてレスポンスを返すことはとてつもなく好き)ちょっとでも上手くなればいいな、というおまじないの意味も込めて。こうして自分のことを書いてみるとどれだけ薄っぺらい人間なのかがよく分かって良い。これからも薄っぺらい人生を歩んでいくのだろうけど、その上にちょっとずつ何かを積み重ねていければいいと思う。何をかはまだ分からない。

 

(敬称が付いている方と付け忘れている方がいるのに他意はないです。忘れているだけ)

 

むかしのはなし

 

 

受動的なことは昔から苦手だった。映画を見に行けば、開始一時間以内にはぐっすりと眠ってしまった。それは、クラシック音楽のコンサートでも同じことで、だいたい演奏が終わった後の拍手でハッと目が覚めるのが常だった。起きた後は何もなかったかのように皆と同様に拍手を送った。母親はそんな私を見て何を言うでもなく、またコンサートへと連れていってくれた。小学生の頃私はピアノを習っていたのだけれど、よく聴きに行ったのはピアノのコンサートではなくクラシックギターのコンサートだった。母は、平野啓一郎の「マチネの終わりに」にも取材協力されていた大萩康司さんのギターが特別好きだった。村治姉弟、國松竜次さん、その他さまざまなギタリストの演奏を聴いたけれど、大萩さんの奏でるギターは誰のものよりやさしい音がした。たいてい演奏会終了後にサイン会が行われていたので、母と一緒に並んでその順番を待った。ある時、名前を聞かれたので答えたら聞き返すことなく油性ペンでCDのジャケットに名前を書いてくれた。聞き慣れない名前(これまで同じ名前の人に出会ったことは一度しかない)をしているので、一度で聞き取ってもらえることのほうが少なかった。ピアノの発表会やコンクールには事前に名前の確認をされるのだが、だいたいほぼ確実と言っていいほどに間違われた。訂正しないわけにもいかないので正しい名前を毎回名乗ったが。自分の名前が世界でいちばん好きなので間違われるたびにげんなりとした。だから、私の名前を一度で聞き取ってくれた大萩さんのことはすぐに好きになった。握手をしてくれる手はいつだってやわらかくてあたたかかった。小学生の、というよりも子どもを連れて聴きにきている人はほとんどいなかったのですぐに顔を覚えてもらえて、それが子どもながらに嬉しかったことを今でも覚えている。中学生になると土日は部活動で忙しくなったし、そのうえ高校受験のためピアノに本腰を入れるようになったので、聴きにいくことはなくなった。演奏自体はほぼ半分寝ながら聴いていたようなもので、記憶に残っているコンサートはない。けれど何も憂うことなくただ純粋に音楽というものに没入できる、あの空間にまた戻りたいと最近少しだけ思っている。

 

ポリネーターを見てくしゃみをする

 

 

10月某日、私はスマホのマップとにらめっこをしながら東京の街を歩いていた。ランチセットが1500円以上もするおしゃれなカフェを横目にまっすぐ道を進む。若い人たちばかりだったけれど、みんなそんなにお金を持っているのかしら。田舎にしか住んだことのない自分にはちょっと分からなかった。

ワタリウム美術館に行くのは、これが初めてだった。それどころか、恥ずかしながら「ワタリウム美術館」をはっきりと認識したのもここ数ヶ月の話である。その日の朝はあいにくの雨で、いつもなら持っているはずの折りたたみ傘がなかったのでコンビニでビニール傘を買った。昼に現美で横尾忠則を見ている間に、すっかり傘は必要なくなっていた。まっすぐ道を行く。マップを見るとワタリウムはすぐ目の前だった。スマホから顔をあげて、AppleMusicのアプリを落とす。そうしてイヤホンと一緒に鞄にしまった。そこは美術館というよりもこじんまりとしたビルという様相だった。入口そばに傘立てがあったので、そこにそっと傘を差し込んだ。すぐ左手に受付があって若いお姉さんが案内をしてくれた。本当はパスポートを買って何度も脚を運びたかったけれど、京都府民である私にはそれはできそうもなかったので当日券を購入した。お姉さんが言うには、2,3,4階に展示があるらしい。ボタンを押してそエレベーターが到着するのを待った。すると家族連れの三人がチケットを買い求めに受付へやってきた。ペア割りで大人二枚、そして子どもの分のチケットを購入していた。

私は美術館で会話をするという行為が嫌いだった。憎んでいると言ってもいい。脳のリソースをできるだけ視覚以外に割きたくないからだ。もちろん会話を聞くことも嫌だ。それが学芸員さんだったとしても、嫌だ。以前、灘の横尾忠則現代美術館で運悪く学芸員さんと連れ立って話す団体に出くわしてしまって、鬱々とした気持ちで美術館を後にしたことを思い出した。声を潜めて喋るならまだしも、普通の声量で会話を延々と続けることのできる人間の神経を疑う。だから、嫌だった。この家族がどういう人達かは知らないが、出来れば一緒に回りたくない部類の人々であることは疑いようがなかった。できるだけゆっくり見て回ってあの家族連れと一緒の階にいないようにしよう、そう思いながらエレベーターへと乗り込んだ。

2階で降りると、さっそく梅津さんの絵が出迎えてくれた。それは京セラでも見た絵だった。

私が初めて梅津庸一さん、並びにパープルームの展示を見たのは京セラ美術館で行われていた「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)」でだった。なんでこの展覧会に脚を運ぼうと思ったのかは覚えていないけれど、多分Chim↑Pomの展示があったからだろう。会田誠Chim↑Pomはちょっとびっくりするくらい自分の感性と呼応するので、機会があればいつだって見たいと思っている。ただ会田誠とは縁がなく、数年前森美であった「天才でごめんなさい」も、前にミズマでやっていた個展も、また今年に行われていた「愛国が止まらない」も結局見ることは叶わなかった。ただ、ミズマはYouTubeに残してくれるので雰囲気だけでも味わえるのが本当にありがたい。

パープルームの展示は平成美術のなかでもかなり異彩を放っていた、と思う。今まであんまり触れてこなかったタイプの美術だった。ブルーピリオドに本格的にハマるまでは、美術に関してかなり選り好みするタイプだったので以前の自分なら流し見して立ち去ってしまっていたように思う。なんとなく気になってブースへと脚を踏み入れた。そこにはマンガだったりよく分からない図だったりボードゲームだったりがあった。ごちゃごちゃとしているはずなのに、妙に居心地がよかったことを覚えている。梅津さんの絵は正面に三枚くらい飾られていたはずだけど、正直言うとあんまり印象に残っていない。花粉濾し器の意味もよく分からないまま、ただ、なんとなく面白かったなと思いながらブースを去った。帰りの物販にはパープルームのマンガや、今までの展覧会のパンフレットなどが置いてあった。どうしようか悩んで、結局「青春と受験絵画」のパンフレットだけを購入した。家に帰って開けてみれば『ブルーピリオド』、『げいさい』の文字が並んでいたので買ってよかったと思った。内容はとても興味深く拝見した。受験絵画とは芸術なのか?その問いへのヒントがいくつも得られた。いつか展示を生で見れる日が来ればいい、そう思う。

そんなこんなで梅津さんの絵を見るのは二回目だったけれど、とても新鮮な気持ちで見ることができた。さまざまな色の点描は梅津さんの身体を象っていた。それはふっと吹けば飛んでしまいそうにも見えたが、不思議と繊細さは感じなかった。むしろ力強ささえ感じた。歩みを進めるとまた別の梅津さん自身の絵が飾ってあった。f:id:kyuuuuu:20211029222235j:image

舐めるように見ていると、顎を引いてこちらを見つめる梅津さんとばっちり目が合った。壁に沿うようにゆっくりと歩く。そうしていると先ほどの家族の声が聞こえてきた。そういえば、上の方からピアノの音が聴こえてくる。思っていた以上に集中していたのか、全く気にならなかった。予想していた通り、三人は口々に話し始める。不思議とうるさいとは思わなかった。その会話は空間に許容されていた。口からぽろぽろとこぼれた言葉たちはふわふわと空気中を漂って私の耳へと届いた。子どもは女性のことを〇〇ちゃんと呼んだ。パームツリーのことをヤシの木と呼んだ。第一次世界大戦時には写真そのものがない。色んな言葉が脳内を彩っていく。

「おちんちんぶらぶら」

その言葉は私を現実に引き戻した。おちんちんぶらぶら、と心の中で復唱した。振り向くと、画面のなかでおちんちんがぶらぶらと揺れていた。気がつけば三人と一緒になって画面を見つめていた。梅津さんは高尾山を全裸で登っていた。女性がおちんちんぶらぶらと言えば、子どももおちんちんぶらぶらと言った。足元だけきちんとスニーカーを履いて全裸の梅津さんは山奥へと突き進む。女性は梅津さんのことをモデルさんと呼んだ。モデルさんじゃなくって、描いている/つくっている本人ですよ、と話しかけたかったが、止めておいた。美術館に来て誰かに話しかけたいと思ったのは、これがはじめてだった。三人は結局、最初と最後を見ないまま立ち去っていった。木に塗られたいちごジャムがてらてらと光るのを見ないまま。そうしてビデオは最初へと戻る。「高尾山にジャムを塗る」という題名が画面にぼんやりと浮かんでいた。

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3階に上がると、2階の様子がよく見えたので写真を撮った。網入りガラスごしだけれど。

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結局最後にまた2階に降りて写真を撮った(のが一枚目の写真)。3階にはたくさんのドローイングがあった。女性が「〇〇ちゃんの方が上手に描けそうだね」と子どもに言えば、子どもは「そう思うかどうかは人による」と返したので、思わずマスクの下で笑顔を浮かべてしまった。今日、この時間に、ワタリウムに来てよかった。心からそう思った。

4階にあがると少し高めの台に陶器の庭が広がっていた。f:id:kyuuuuu:20211029222535j:image

三人は記念写真を撮っていた。私は邪魔にならないように部屋の隅で壁を見つめていた。三人が帰ろうとしているところ、一人の男性が登ってきた。多分何回も見に来ている人なんだろうなと思った。ふたり無言で陶器の山を見た。男性はすぐに立ち去っていったので、私は壁の絵の写真を撮った。

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2階の写真を撮ってもう一周見てから1階へと降りた。隣接しているショップを一周しても過去のパンフレットが見当たらないから、おかしいなと思いながら入口に戻ると受付のすぐそばに並べられていた。昔から探し物をするのはとてつもなく苦手だった。何でもない顔をしてパンフレットを物色する。一週間前に終わってしまったシエニーチャンさんの「視ることのアレルギー」のパンフレットと、ゲンロン6.5(表紙赤バージョン)を買ってワタリウムを後にした。表参道駅を目指して歩いている途中で、傘を忘れたことに気がついた。そんなに遠くなかったけれど戻るのがめんどくさくてそのまま駅へと向かった。雨はもう、降らなかった。

 

梅津庸一 ポリネーター

2022.01.16まで

http://www.watarium.co.jp/jp/exhibition/202109/

あまりにも拍子抜けした

 

「ライフイズストレンジ2」

 

をクリアしました

 

以下ネタバレ有

 

 

 

 

 

 

 

なんだァこのゲーム・・・・・・・・・・・・。

終始????????という感情とイライラが付きまとう。社会派に寄ってるのも私には馴染めなかった。

 

 

まず社会的背景を知ってないと楽しめないと思う。私は学がないので・・・・・・

メキシコ系移民のディアス一家自体、一部の人たちからよく思われてないっていうのを冒頭の一場面だけじゃなく、複数人描写すべきだった気がする

前知識ないと、何にもしてないのに無能な警察にパパ銃殺された🥺になっちゃうんだよな

というかイキってたくせに簡単に倒れて気絶すな

メキシコに行かないといけない意味も結構曖昧だったしなあ・・・・・・アメリカにいたら法で裁かれるってことなんだろうけど(でも警官殺しましたよね?不可抗力だけど)

 

 

分岐はLISよりめちゃくちゃあるみたいだけど、どれ選んでも割と地獄そう。自分は自首してショーン刑務所、ダニカスヌクヌクエンドでした。出所にライラとお母さんとダニエルが来てくれたのは嬉しかった。悔しかったので2人で亡命エンド見たいんですけど、道中のイライラに耐えられるか分からん・・・・・・

 

 

ショーンはなんでこんなにもダニエルに尽くすのか・・・・・・って何回も思ったけど、それは"家族だから"の一言につきる。お父さんの教えのとおりに生きただけなんだよね

というか、ダニエルと繋がりがあるひとって事件が起きた時点で誰もいなくて、そんな弟を放り出せないと思ったのかもしれない

 

 

登場人物がチャプターごとに結構入れ替わること自体うーんとなる人も多そうだけど、これが2人でメキシコに至るまでの旅だと思えば致し方ない。いい人もいれば悪い人もいるって分かりやすくて良かったと思う

 

 

とりあえず弟ダニエルの存在は終始邪魔、9歳と言えども我慢の限界がある。ショーンが色々不憫すぎる(色々、の内容についてはありすぎるため言及は省く)

登場人物自体、魅力がないってわけじゃないけどそこまで好きになれるキャラクターもいなかった。というか内面よりも、背景に縛られてる人間が多すぎるというか・・・・・・まあ皆なにかしらを抱えながら生きている人間が多かった印象(いや何も抱えてない人間は存在しませんが)

 

 

なんていうか、様々な意味で難しいゲームだったなと。人生とは・・・・・・

考えさせられる物語だった。LISと違って時が戻せないぶん、慎重にショーンたちの生き方を模索できた

 

 

終わってみればまあまあいいゲームだったけど、積極的に2周目以降はできない気がするので、忘れたくらいの頃にやってみようかな