殴り書き

オタクの妄言

むかしのはなし

 

 

受動的なことは昔から苦手だった。映画を見に行けば、開始一時間以内にはぐっすりと眠ってしまった。それは、クラシック音楽のコンサートでも同じことで、だいたい演奏が終わった後の拍手でハッと目が覚めるのが常だった。起きた後は何もなかったかのように皆と同様に拍手を送った。母親はそんな私を見て何を言うでもなく、またコンサートへと連れていってくれた。小学生の頃私はピアノを習っていたのだけれど、よく聴きに行ったのはピアノのコンサートではなくクラシックギターのコンサートだった。母は、平野啓一郎の「マチネの終わりに」にも取材協力されていた大萩康司さんのギターが特別好きだった。村治姉弟、國松竜次さん、その他さまざまなギタリストの演奏を聴いたけれど、大萩さんの奏でるギターは誰のものよりやさしい音がした。たいてい演奏会終了後にサイン会が行われていたので、母と一緒に並んでその順番を待った。ある時、名前を聞かれたので答えたら聞き返すことなく油性ペンでCDのジャケットに名前を書いてくれた。聞き慣れない名前(これまで同じ名前の人に出会ったことは一度しかない)をしているので、一度で聞き取ってもらえることのほうが少なかった。ピアノの発表会やコンクールには事前に名前の確認をされるのだが、だいたいほぼ確実と言っていいほどに間違われた。訂正しないわけにもいかないので正しい名前を毎回名乗ったが。自分の名前が世界でいちばん好きなので間違われるたびにげんなりとした。だから、私の名前を一度で聞き取ってくれた大萩さんのことはすぐに好きになった。握手をしてくれる手はいつだってやわらかくてあたたかかった。小学生の、というよりも子どもを連れて聴きにきている人はほとんどいなかったのですぐに顔を覚えてもらえて、それが子どもながらに嬉しかったことを今でも覚えている。中学生になると土日は部活動で忙しくなったし、そのうえ高校受験のためピアノに本腰を入れるようになったので、聴きにいくことはなくなった。演奏自体はほぼ半分寝ながら聴いていたようなもので、記憶に残っているコンサートはない。けれど何も憂うことなくただ純粋に音楽というものに没入できる、あの空間にまた戻りたいと最近少しだけ思っている。